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鈴木隆 (投手) : ミニ英和和英辞書
鈴木隆 (投手)[すずき たかし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すず]
 【名詞】 1. bell 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
投手 : [とうしゅ]
 【名詞】 1. (baseball) pitcher 
: [て]
 【名詞】 1. hand 

鈴木隆 (投手) : ウィキペディア日本語版
鈴木隆 (投手)[すずき たかし]

鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手投手)・プロ野球指導者・野球解説者・プロ野球スカウト。
== 来歴・人物 ==
田村高校から中央大学に進学。投手、外野手をこなし、東都大学リーグでは春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝で立大に敗れ準優勝。大学同期に伊藤芳明穴吹義雄がいた。卒業後は社会人野球の川崎トキコに入部。川崎トキコ時代のチームメイトに、久保吾一(元国鉄)がいた。社会人時代から評判の左腕で、から日本コロムビアの補強選手として都市対抗に2年連続出場。秋にデトロイトで行われたノンプロ野球選手権に日本代表として参加し、4試合連続リリーフで優勝に導くとともに大会MVPを獲得。メジャー球団のスカウトからも注目を浴びるほどだった。
帰国後、多くの球団からスカウトされた。巨人がもっとも熱心で鈴木自身も入団に前向きだったが、それを翻してに大洋ホエールズに入団。その理由について、「12球団からスカウトが来たが、中部謙吉オーナーの『大洋は今は一番弱い。しかし巨人に勝てるチームにしたいんだ』の言葉で入団を決意した。強い者に勝つというオーナーの心意気が気に入った」とNHKのテレビ番組『ドキュメントスポーツ大陸・よみがえる熱球プロ野球70年、第3集・三原魔術』で語っている。
シャイで職人肌の反面マウンドでは非常に気性が荒く、キレの良い球で内角をグイグイ突くピッチングで、1年目の1958年から主戦投手として活躍。同年4月8日の対巨人戦でプロ初勝利を初完投・初完封で飾る。同年は58試合に登板し、15勝をマーク。
には当時監督の三原脩の意向により先発からリリーフに転向。当初は「先発完投こそ投手」と転向に対し不満を持っていたが、次第に三原野球における自身の役割を理解し、最終的にはやりがいを感じるようになる。この年、鈴木はシーズン成績こそ5勝11敗だったが、大洋は6年連続最下位からチーム初のリーグ優勝。同年日本シリーズでは第1戦・第3戦に先発した(シリーズも初優勝を遂げた)。
1960年6月1日の対巨人戦で、8者連続奪三振のセ・リーグ記録を達成。には70試合に登板した。
東京オリオンズに移籍。に大洋に復帰したが勝ち星を挙げる事が出来ず現役引退。その後はまでコーチを務めた。その間、にはプロ野球界を震撼させた黒い霧事件で謹慎処分を受けた。からはニッポン放送野球解説者として活動していたが、、9年ぶりにコーチ業へ復帰した。
からまで大洋・横浜のスカウトを務め、からはスカウト兼任でtvkの野球解説をまで務めた。また、ホエールズのOB会副会長(当時の会長は秋山登)も歴任した。
三原が投手交代のためマウンドに来ると、ボールを渡さず逃げ回り、三原を苦笑させた。鈴木のジョークであったが、対戦相手には内輪揉めしているように見えたという。
中央大時代に早稲田実業高校とよく練習試合をしていて癖を知っていたこともあり、王貞治に強かった。上記8連続奪三振も8人目は王だった。また、鈴木が登板している試合で初回にチャンスを迎えた時に第1打席から代打を送られたり、王が22年の選手生活で唯一のスクイズバントをしたのも鈴木相手である(1960年7月15日)。7月1日の対大洋戦で王が一本足打法を試合で使う決心をするきっかけも、前日鈴木に抑え込まれた事だった。一本足打法によって王は大ブレイクを遂げ、鈴木もこの年初めて王に本塁打を許した。また、1964年9月6日の対巨人戦で南海野村克也が持っていたシーズン本塁打記録に並ぶ第52号を許した(ちなみに新記録の53号は同じ試合で峰国安、現在のシーズン記録55号は佐々木吉朗と、いずれも大洋の同僚が打たれている)。しかしながら、それでも鈴木が移籍するまでの4シーズンで王に許した本塁打はわずか6本、通算対戦成績は85打数21安打22三振で、対戦打率は.247、安打より三振がわずかに上回っており、王に対し、好相性であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鈴木隆 (投手)」の詳細全文を読む




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